11月 16 2020

昨年就職活動中に事故にあい、救急車で運ばれて入院しました。足と腕を骨折したのですが、自宅で一人暮らしだったため色々不便はありましたが、ゆっくり静養できたのは良かったです。しかし、行く予定だった会社には事情を説明したのですが、後日の面接はしてもらなかったのは残念です。

入院時は、入院生活に必要なものは近くに住む兄が後日持ってきてくれましたが、まずは売店にそろっていることが説明されました。売店にはアルコールこそありませんが、コーヒーやお弁当、お菓子、雑誌など色々そろっており、内科的な入院のため食事の制限がなかったので毎日行っては買い物しました。売店のスタッフに名前を覚えられ、「今日は〇〇は買わなくていいの?」「新商品が入ったよ」など教えてくれるようになりました。

また、同室の入院患者同士での助け合いも見受けられました。自分も最初はトイレに行くのもヨロヨロしていたのですが、すぐに気づいて手伝ってもらえて助かりました。外科病棟なせいか、おやつもある程度自由に食べられるので、そういうものを囲んでのコミュニケーションもありました。囲碁や将棋などしたり、雑誌や漫画などの貸し借りをするのも楽しかったです。

入院中のリハビリ以外は割と時間があり、暇を持て余していました。友人や兄はもちろん仕事ですし、ラインなどの返事も夕方までなく、パソコンを開くのですが病室はwifiが弱く動画などを継続して見ることができませんでした。談話室まで行って映画を見ているのもなんだか落ち着かず、もちろん就職活動もしなくてはならず、少々悶々としていました。

 

隣のベッドの男性は若いのに心筋梗塞でカテーテルでの手術をする予定だと話していました。カテーテルでの手術だと短期の入院で済むそうで、その男性が色々教えてくれました。話を聞くうちに将来的に考えて医療機器の仕事は今後も伸びそうだと思い、退院後の今は医療機器業界のオムロンやメニコン、フェイスメディカルなどの採用情報を調べています。入院がきっかけで将来の道が見えてくるのも運命だと思っています。

入院中は徐々に仲の良い患者さんが増えると、自由時間が多いため、雑談等がとても楽しかったです。特になにが?と言われると困るのですが、入院していると娯楽が少ないため、ごくごく一般的な世間話がとてもありがたかったです。知らない人たちとこれだけ長く接することはないので、どの体験も新鮮に感じられました。

看護師さんはいつも忙しそうで、でも笑顔は絶やさずてきぱきと間違いのないよう薬を用意したり、包帯を変えに来てくれて本当に頭が上がりません。看護師さん同士のやりとりを見るのもなかなか面白く、いつも怒られている新米看護師さんが退院する患者さんに笑顔で手を振っているのは微笑ましかったです。

ベテラン看護師さんは他の看護師さんなどへの言い方はキツイものの、抜けやミスがないよう常にいろいろなところにアンテナを張っているようでしたが、ナースステーションで美味しそうにお菓子を食べている姿を見ると、日々大変だけど頑張っているのだなあ、と感心しました。私服に着替えて優しい表情になって帰って行く姿も見ました。

ベテラン看護師さんのアンテナの貼り方は広く、隠れて煙草を吸いに行こうとしていた患者を即座に見つけて「〇〇さん、どこへ行くの?もうすぐリハビリの時間だからベッドに戻ってくださいね」とピシッと言っている姿には笑ってしまいました。同じ部屋の患者さんだったのですが、スゴスゴと部屋に戻ってくるとみんなに笑われていましたが、「もっとうまくやらないと」「〇曜日は〇〇さんいないから大丈夫」など、アドバイスをもらっていました。

10月 16 2020

24歳のときに「はしか」にかかりました。初期症状としては体がだるい程度で、「疲れがとれないのかな?」と思っていたのですが、次の日に症状が悪化。気持ち悪くて食欲がなく、高熱が出ました。さらにその後、手足や顔に赤い発疹が出現。さすがにこれはただの風邪ではないと思い、近くの病院にフラフラになりながら家族に連れて行ってもらいました。

病院へ行ったところ、「はしか」であることが判明。医師に「最近、子供と接したことはないか?」と聞かれましたが、私自身、子供もおらず、子供と接する機会もなかったので、なぜ「はしか」に感染してしまったのかはいまだに謎です。電車やバスを使用することが多いですし、週末行ったショッピングモールなどかもしれません。

夜間診療に行ったのですが、高熱があり症状が重かったため、病院についてすぐに診てもらうことができました。ベッドの上であおむけになり、聴診器をあてられたり喉の奥を見られたりしました。その後、手に発疹があること等から「はしか」であると判断され、そのまま病院に入院するように言われました。

「はしか」は感染する病気のため、個室での入院となり、退院するまでは絶対に部屋から出てはいけないと病院側から説明を受けました。処置としては、食欲がなかったので2~3日程度点滴を受けたのと、また飲み薬を処方されました。入院して2~3日程度は辛かったのですが、4日目頃には回復して食欲も出て来て、いつも通りに過ごせるようになりました。

隔離されていたので食事のお膳の上げ下げは看護師さんに全てお任せしていました。入院したばかりの頃は食欲がなく、お膳を運んで頂いてもほとんど手をつけずに返していたのですが、看護師さんの計らいでのど越しの良いフルーツやゼリーだけを私の元に残してくれたのが嬉しかったです。

結局食べられなくて、次の日に回収されたりしていたのですが、それでも毎日のようにのど越しのよいものがあるときは私の横に置いたままにしてくれたので有難く思いました。少しでも栄養のあるものがとれるようにという、看護師さんの思いやりが垣間見えたようで、その看護師さんの優しさに心がほっこりしました。

また、部屋で一人きりになっている私のことを思い、気さくにいろんな話をしてくれる看護師さんもいて心が和みました。一人で1週間、隔離された部屋に入院というのは正直きつかったのですが、看護師さんがたまに来て「何の本読んでいるんですか?」「その作者さん、面白いですよね、私も読んだことあります」など、他愛のない会話をしてくれたので、そこまで心細く感じることもありませんでした。

「はしか」になって夜間診療に行った際に症状が重すぎたためか、二人の医師が症状を診察してくれました。しかし一人の早く帰りたい年配の男性医師が、適当に診察を切り上げようとしていたのが分かりました。こんなに苦しんでいるのに、患者の前で「もういいでしょ」「いいんじゃない?」と周りの人に連呼していて、腹が立ちました。

ですが、もう一人の若い男性医師がその医師に対して、「もっとしっかりと見た方がよい」と提言。そのおかげで私は入院し、しっかりと治癒することができました。あの若い男性医師がいなければ、適当にあしらわれて家にそのまま帰宅させられていたと思います。もっと苦しい思いをしていたかもしれないと思うと、ぞっとします。

同じ病院だとしても、大きい病院であればあるほど様々な医師がおり、どの担当医師かで自分の扱い方が変わるのだなと痛感しました。患者の立場で親身になってくれる医師なら良いのですが、そうではない場合、最悪治癒できない場合や手遅れになる場合もあるかもしれないと感じました。

10月 09 2020

急性咽喉頭炎になりました。いつも喉から風邪になるのですが、ただの喉風邪かと思い診療所を受診しました。普段と変わらず風邪に効く薬を処方してもらい、様子を見ました。3日ほど経っても痛みが引かず、夜になると痛みが増して飲み物を飲むのにも違和感があり、その後飲食が困難になりました。その翌日、大きい病院に行くことにしました。風邪の症状が出る前に数人で飲み会をしており、同席した人から菌をもらったと考えられます。

大学付属病院の外来を受けました。初めに近くの大きい病院に行きましたが、受診日に耳鼻科の先生がいないとの事だった為、受付にいたナース兼受付の方に症状を説明し、近隣の大学病院を勧められました。耳鼻咽喉科がありましたので喉を見てもらえました。

かなり腫れており、膿が溜まっている可能性があるかもしれないと膿を出す処置をしました。膿は溜まっていませんでしたが、腫れで飲食が困難になっていることが何も言わずとも先生が判断できた為、すぐ入院して下さいとのお話がありました。

治療方法は、絶対安静で1週間療養目的、脱水症状があれば点滴をしますとの事でした。その後、入院の手続きを済ませて病室に案内されました。再度、病棟の先生にも同じような診察をされました。大部屋に案内されたので、ここで眠れるのか、人の話し声などが聞こえて眠れなかったらどうしようかと心配になりました。

一人暮らしであったために、すぐ入院になり入院の準備ができなかったのですが、心配して近郊にいた兄弟が次の日に駆けつけてくれたことが嬉しかったです。医療関係者だった為に入院生活に必要なものが分かっており、入院生活中、なくて困ったというものがほとんどなく驚きました。1週間の間に親しい友人や地方の両親、退院時には一人では危ないと予定が合ったおばさんが来てくれて嬉しかったです。

同じ部屋の高齢のおばあさんはほぼ寝たきりだったのですが、体を拭いたり、食事の介助をする際に看護師さん2人とあんまりしゃべれないおばあさんが楽しく会話をしているのが聞こえてこちらまで心が温かくなりました。忙しい中看護師さんは話し方も優しく、おばあさんの亡くなったご主人のことやお孫さんとの話など楽しそうに聞いていました。

入院中の人は1日に3回の食事が楽しみなのだと感じました。耳鼻咽喉科の病棟だった為、配膳は歩くことができない人だけで他の人は自分で取りに行き、食べ終わったら自分で食器を返しに行くというシステムでした。食事が来たという合図とともに一斉に病室から人が出てきて、5分ほどで食べ終わり食器を返すというのが多くて驚きました。

大部屋だった為、様々な人の会話が聞こえたり、治療の雰囲気からどのくらいの症状なのかが分かってしまいました。高齢の方がほとんどで私よりも症状が重い人ばかりでしたので、どちらかというと私は後回しにされてしまいました。仕方がないと思いつつも、喉の痛みを抑える薬を頼んだ際に2時間ほど待つことがあり、病院も慣れていない為どうしていいか分からず困りました。

 

もちろん診察後は家に帰るつもりで行ったので入院に必要なものを何も持っていなく、一人暮らしだった為にすぐに対応できずに困りました。両親は遠方だった為、お見舞いに来てくれた際に、面会時間少し前に病室に入ってしまい、話していたら貫禄がある看護師さんが来て怒られるということがあり怖かったです。

入院始めは、病院食を通常の白米からおかゆに変更だけだった為、他の料理は一般の人と同じでした。水分を飲み込むのも辛かったのでおかずなどは飲み込むことが痛く、あんまり食べられなかったので困りました。徐々に痛みがひいてきてからの食事はとても美味しく感じられました。

9月 24 2020

潰瘍性大腸炎をわずらってしまいました。判明したのは肛門生周囲膿瘍になった時で、下痢が続いている事を伝えると可能性があるからと大腸カメラを入れました。その後、カメラで検査した結果炎症が見つかり、潰瘍性大腸炎の中等症と呼ばれる状態にあるのだと知りました。

発覚した時期はつい先月の事でした。友人と旅行の計画を立てたいと思っていたので、念のため病院に行っておこうと思ったのがきっかけでした。膿瘍の治療中の事で途中で爆発してしまい、救急で手術を受けなければ潰瘍性大腸炎には気づかなかった可能性もあるので良かったと思います。

潰瘍性大腸炎は一生治ることのない病気で難病だと聞かされました。その上で治療をする事、目指すべきは完治では無くて寛解であると知らされ、そこから錠剤による治療になりました。エレンタールという消化の殆ど必要としない栄養剤を飲みながら経過を見たのですがあまり状態は良くならず、最終的には3週間の入院でステロイド点滴による処置になりました。

ステロイド中は感染症に掛かり易くなる恐れもあり、当時はコロナで大変な時期だったのである意味で隔離されている病棟でマスクでしっかり防護している状態での治療でした。ヘモグロビンが下がっていたので鉄剤の点滴と感染症予防の点滴もしました。それ以外には食事制限くらいで楽な入院だったと思います。 

先生達も看護師さん達も凄く対応が良く、何かあれば直ぐに対応してくれたので感謝しています。コロナで売店にも立ち寄れない状態だったので日々のお買い物やシャワー後にでた洗濯物等々面倒な作業を変わって貰えたので助かりました。特にお水を頼むときには重たい荷物になってしまったのですが嫌な顔をしないで対応してくれたので感謝です。

面会も出来ない状態だったので大変だったのですが、看護師さん達のサポートによって何不自由なく安心して病院生活を送れました。こまめに部屋に来て「〇〇さーん、大丈夫?何か必要なものあったら言ってね」など、何気ない会話をしてくれたのもありがたかったです。忙しい中、患者さんの気持ちに寄り添う優しさには感動しました。

驚いた事で言えば、院内でコロナの発生が発表された時です。患者さんでは無くて職員さんからコロナが発覚したらしく一時期は騒然となっていました。幸いにもその後、クラスタとして集団感染する事も無く、無事に終わった様ですが、感染症に掛かりやすいと言われていた自分としては恐怖でした。入院病棟は隔離されていたので安全ではあるようでしたが、それでも怖い思いはしていました。職員さんも無事だったそうです。

コロナの影響で自室以外から殆ど動けない状態だったのは困りました。小腹が空いても買い物に行けず、着替えやタオルの使用ペースを考えてシャワーを浴びないといけないので普通の入院生活よりかは誓約がありました。看護師さん達の献身的なサポートのお陰で我慢出来る範囲ではありましたが、使えた方が便利だなって思っていました。忙しい仕事の中、僕たち患者さんの小間使いまでさせられている状況でも笑顔で接してくれていた看護師さん達には感動しました。

またステロイドを利用してわずか5日で経過が驚く位よくなっていたのには驚きました。炎症でただれていた腸内も綺麗な状態まで治っており、ステロイドはここまで効く薬なのだと感動すると同時に恐怖も感じました。一歩間違えば重篤な状態にもなりえる薬だと言われていたので担当してくれた先生のケアが最善だったお陰で何毎も無く無事に寛解までいけたので凄く感謝しています。先生が問診をしただけで体の状態を言い当てる能力にも地味に感動しました。自分では身体の中のことはやはりわからず、ちゃんと病院へ行って良かったと思いました。

9月 14 2020

4年前の夏、突発性難聴を患いました。当時は、ナレーターといって人前でマイクを使って話したり、ビジネスマナーインストラクターの仕事に就いていまして、殆ど休みがなく働いていました。ある日、B to Bの法人対応の仕事中、突然、左耳だけが塞がれたような感覚に陥りました。

自分で話していても、声が籠るような感覚で普段の様には話せず、違和感を覚えました。時間がたてば治るかと思っていましたが、その後1時間経っても、2時間たっても塞がった感覚が治らず、仕事後に病院に行き発覚しました。

 

まずは耳鼻科に行きました。診察によると、左耳の聴力がゼロに近い数値になっており、緊急入院が必要ですとのことでした。直ぐに紹介状を書いてもらい、そこから10分ほどの病院を受診しました。精密検査の結果は、はやり突発性難聴でした。「一日でも早く入院して下さい」とのことでしたが、どうしても外せない仕事がありましたので、その時は断りました。

「重要な仕事を終えたら、2日以内に必ず家族を連れてきてください。」と、医師から言われておりましたので約束を守り、再度病院へ行き医師から家族への説得もあり、入院に至りました。その日から闘病は始まりました。点滴によるステロイド投与で、それは2週間続きました。

病棟には、突発性難聴とよく似ていると言われる病【メニエル病】で入院された方がお一人いらっしゃり、その方とはよくお話をしました。その方も仕事がメインで、毎日忙しい日々を過ごしていらしたようです。メニエル病は何度も繰り返すという特徴があるそうで、初めての入院ではなかったようです。まず、神経を張り巡らせてしまうといけないという共通点があることを教えてくださいました。

その方は経営者でいらして、私の性格やある程度の職種を見極めていたようで、そのアドバイスは的確でした。頑張りすぎない事や責任感も持ち方を緩和させること、自身でコントロールして、口癖を「ありがとう」にして、人に伝えることが大事だと教えてくださいました。そうやって、人を頼ると楽になることを言われたことを覚えています。

看護師の方も本当に素晴らしく、「そろそろお風呂に入りたいな」と思っていたら、タイミングよく「まだお風呂はダメだけど、髪の毛だけでも洗いませんか?すっきりしますよ」と言ってくださったことがありました。本当に驚きました。流石、プロの方です。他の患者さんにも自分から積極的に気持ちを伝えられない方には「痛みはどう?我慢し過ぎないでね」などの声掛けをしており、「痛いんでしょう?じゃあ薬持ってくるね。ちゃんと眠れている?」とも聞いていて、寄り添っていた姿に感心しました。

病棟には心臓疾患の方もいらして、夜中に心電図を図る機械音が鳴り響き、医師の方が飛んでくるようなこともありました。このまま重症化したらどうしようと、自分のことの様に心配しました。また、自分のことでいえば、点滴中そろそろ点滴が終わるので、ナースコールを鳴らしたのですが、忙しくて誰も来てくれず、血液が逆流してしまったことが一度ありました。

点滴が初めてだったので、逆流していくことでパニックを起こしてしまいました。大事には至らず、逆流しても問題ない事を後から知りましたが、その時は怖かったです。でも、それ以外は、感動したエピソードしかありませんでした。看護師の方は、本当に天使なのではないかと思った2週間でした。

初めての入院で、人の温もりを感じましたし、無理をしないことが、何よりも大切だし、人へ迷惑をかけないことにつながることを知りました。この体験を通しての学びが多かったので、最後には皆様へのメッセージを手紙に添えて、退院しました。